こんにちは、マサです。(@ trombonemusic11)
一昨日、4月18日に誕生日を迎え31歳になりました。 本当にたくさんのお祝いの手紙、投稿、メッセージ、LINEを頂きとても幸せな気持ちで誕生日を過ごせました。ありがとうございます。
そして今月でフィリピン・セブ島に活動の場を移してから2年半が経ちました。今はインターネットがあるので日本で起きていることもすぐに分かります。九州で起きた地震もネットニュースで情報が流れてきます。そして多くのフィリピン人の友人、その他の国の友人達も今回日本で起きた地震のことを心から心配しています。何か私にもできることはないか?助けられることはないか?まるで自分の事のように心配してくれてメールが届きます。
いまも世界中で様々な問題が起きています。エクアドルでも大地震が起きました。紛争がある国もあります。今日食べるものがない人がいます。貧困のため学校に行けない子どもがいます。人との接点がないまま孤独で亡くなる方もいます。 日本を出ての世界中の人々が教えてくれたことは人と人とのつながりの大切さと
世界で起きていることには優劣はないと思います。
日本人が死んでも、フィリピン人が死んでも、イギリス人が死んでも同じ大きな悲しみがそこにあるということ。
今回の九州の地震に多くの外国人が心配してくれていてそれを強く感じました。
しかし私がが日本にいた時に世界で起きていることに、九州の地震を心配してメールをくれる外国の友人のように心から心配する気持ちにはなれなかったなと思います。もちろん日本にも温かい心の人がたくさんいます。
今日は4回目となるフィリピンのオランゴ島に日本人2人で泳ぎに行きました。
そこでまずボートで中国人(香港)2人組に「この船はオランゴ島に行くか知ってる?」と声をかけられました。
私は「これだよ」と教えてあげてから色々話す中で一緒に回ることになりました。
また同じボートの中で韓国人2人組にも「オランゴ島のレストラン知ってる?」と声をかけられました。
私は「知ってるよ。良かったら一緒に回ろう」と言って色々話す中で一緒に回ることになりました。
日本人2人、中国人2人、韓国人2人のグループができあがりました。
一緒にランチを食べて、一緒に泳いで、セブまで一緒に帰ってきました。
それぞれ違う国籍で始めて会ったにもかかわらず、意思の疎通ができたのは英語という共通語があったのもありますが、それぞれが相手を尊敬する、認めるという気持ちがあったから一緒に行動ができたのだと思います。
中国人の2人がたくさんの中国人が日本に行ってたくさん買い物をしたりすることを日本人はよく思っていないんでしょって話してくれました。これは悲しいことがせっかく日本を訪れてくれた中国人に伝わってしまっています。私はそんなことは思っていないことを伝えましたが、多くの日本で暮らす日本人は異文化交流に馴れていないため起こる反発なのだと私は思います。
よく日本に来る外国人の問題が取り上げられます。ごみ問題、騒ぐなど…。
日本人は外国人に日本に来たときはこのような振る舞いをして欲しいということを外国人にちゃんと伝えれれているだろうか。日本人は空気を呼んで合わせる文化があるが、それは日本だけで通用することであって外国人に対しては言葉でしっかりと伝える必要があります。
私は外国人に多くのアナウンスが全く伝わっていないのではないかと思うことがあります。
日本では何かが分からないということは、分からない人に責任があると考える人がほとんどだが、これも日本だけで通用うすることで、海外では分からないということは情報を発信した人に不足があるためだと考えます。
日本でよく講演会などの最後の質問コーナーで誰も質問がなくシーンとしてしまうことがあると思いますが、それは日本では質問をする=分かっていない人。だと認識されると思っていることが大きな理由となっている気がします。
海外では分からないこと=情報発信者にも責任がある。と考えます。その情報では分からないから質問をするのです。
こういう風に考えられたら日本で問題視されている外国人の行動もよくなるのではないでしょうか。
英語でごみをゴミ箱に捨てて下さい。って伝えられる日本人が何人いるだろうか?
英語でこの場所では静かにしてください。って伝えられる日本人が何人いるだろうか?
原因は情報の発信者側にあるということが見えてくるかと思います。
そしてよく、韓国人、中国人のことを悪く言う日本人は実際に接したことがないんだろうなと思います。
これは本当に悲しいことです。 実際に話せたら考え方変わると思うんだけどなあ。頭で考えるだけだと想像で物事が進んでしまったりして間違った方向に進んでしまう気がします。
要するに世界中がもっと平になって繋がれば面白いということ。
頭で考えるぐらいなら行動してしまったほうが面白いっていうこと。
そのために私が続けてきた音楽は強力な武器となること。
考えるより行動してみると70倍ぐらい明らかになることがあると思います。