はじまりは今。

こんにちは、永田です。(@ trombonemusic11)

このようにブログを書こうと思ったのは突然だった。2年前まではブログを書いていたのに離れてしまいました。おそらく物事をインプットする時期だったのだろうなと思う。こうしてブログを始めたということはこれからはアウトプットの時期なのだろう。

(2015/12/12のブログをリライト)

最初に私の音楽との出会いを振り返ってみようと思います。
幼稚園に通う前は母や姉の習うエレクトーン教室について行きエレクトーンの下でよく寝ていたらしい。このような音楽を聴く環境はあったが自分が習うことはなかった。幼稚園の年長で鍵盤ハーモニカ、太鼓、鉄琴を経験するが、まあ嫌いじゃないというぐらいだったと思う。鍵盤ハーモニカで自分の知っている曲を弾いたりはできていたのかな。その頃は虫採りや山登りなどアウトドアやスポーツが好きだったように思います。

小学校1、2年生の時にはハーモニカを経験しました。
私は得意で大好きだったと思います。「赤い屋根の家」という昔住んでいた家を思い出すという物悲しい歌が好きでした。(子どもというのは辛いことが多いから短調(暗い響き)の曲の方を好むらしい)

1年生の時はテストはいつも100点、でも宿題はいつもやっていかなかったので毎日5時まで居残りしていました。ちょうど目が悪くなり始めていて席替えで前の方にならないと学校の帰りに先生が黒板に書く今日の宿題を連絡帳に書き写すことができなかったので宿題をやっていくことができなかったのだと思います。
しかも小学校1年生のときの担任のO先生が恐ろしい人でみんなが宿題を提出しに行くなか提出しない私の席に来て机を傾けて中のものを床に散乱させるということが毎日行われていました。私は毎日のことだから慣れていたけど、たまたま宿題を忘れてしまった子は泣きじゃくっていましたね。
相変わらず私は宿題をしない?できない?から毎日5時頃まで居残りの日々でした。黒板の左上に宿題忘れた人の名前が書かれる欄にいつも永田と書いてありました。O先生ともし再会できるならこの放課後の居残りの日々について聞きたいと思います。
宿題をしないことへの罪悪感もない教師に反抗的な小学1年生だったなと思い出します。

次回は亡くなった父親について書いてみたいと思います

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