お父さんはパンツ一丁

こんにちは、永田です。(@ trombonemusic11)

玄関を開けると2秒で白いステテコ姿が目に入る。

今日は父親の休みの日なのだ。

消防士をしていた父親は当直で消防署に泊まり2日後に帰ってくるというサイクルだったので父親のいる日、いない日、という日々の流れがあった。

今日はお父さん居る日なん?
という会話がわが家ではよくなされていた。
父親のいない日というのは友達を家に呼べる日でもあり、2日かに一度来るとはいえ待ち遠しい日でもあった。

私が幼稚園の頃、父親が休みの日には阪急豊津駅から北千里まで行きバスに乗って千里中央まで行くというコースをよく辿っていた。
(これは大阪の北摂の人しかイメージがわかないと思うがまだ大阪モノレールが開通する前の話なので千里中央まではバスに乗らなければならなかった)

大きくなってから当時よく父親と行っていたのは阪急デパートだったという事を知るのですが、デパートの屋上のペットショップにいたオウム、フルーツの入ったアイスクリーム(おそらく551かな?)などが断片的に思い出されるが父親と会話をしたという記憶はほとんどないのです。

父親はお酒をよく飲み、酔っ払うと多弁というか収拾がつかないような様子でした。外では飲まなかったので問題にはならなかったが家庭内では問題がありました。小学2年生の11月末に両親が別居する事となり姉と私は母親についていく事になりました。
この後はしばらく大阪豊中市の下町、庄内という街で暮らしていくことになります。

家庭というのは安全な居場所として機能すれば良いのですが安全を失った場合は監獄となります。
家庭内で暴力がある、問題があるのは子どもに大きな障壁となります。特に小さな子どもは他に逃げ場所がない。
私は小学2年生に上がっても宿題をして学校に行くことができずにいました。今になって思うのはこの時すでに家庭の問題が私自身に影響を与えていたのかなと思います。
そして小学2年生に上がると宿題忘れるような子もクラスにほとんどいなくて自分だけだと恥ずかしいというか、悔しい気持ちと苛立ちもあって、友達のノートを隠したり、家に持って帰ったりしていたのを思い出します。家庭環境が子どもの行動にも大きな影響を与えるのが身を持ってわかります。ノートを盗んだのも時効ですので許してねー!(笑)

次は転校する直前に起きた恋の話をします。

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